マシリトとONE PIECE


ONE PIECE、連載開始の経緯

木多康昭の語るマシリト

<blockquote class=”twitter-tweet”><p lang=”ja” dir=”ltr”>あと幕張が終わった後一緒に飲んだ時に<br>俺「海賊の漫画、ジャンプの柱になると思うんですけど…」<br>マシリト「なるわけないじゃん!何言ってんだよ!」と強く否定したことも俺はしっかり覚えているぞ</p>&mdash; 木多康昭 (@KitaYasuaki) <a href=”https://twitter.com/KitaYasuaki/status/1211313421980848130?ref_src=twsrc%5Etfw”>December 29, 2019</a></blockquote> <script async src=”https://platform.twitter.com/widgets.js” charset=”utf-8″></script>[affi id=1]

この木多の証言が事実だとしても、
幕張の連載終了時(97年49号)、ワンピースは週刊少年ジャンプの顔となり
実際、次の50号では表紙&巻頭カラー、51号でも巻頭カラー、掲載順もほとんどが3番以内とマシリトからすれば改めて木多ごときに偉そうに指摘されることでもなく、単に木多のことが嫌いだから同意するのも嫌だったというだけの話ではないか?
そうでなければ編集長が個人の好みは置いておいて自分の雑誌の連載作品の人気も把握できていない無能となってしまう。


マシリトのインタビューからすると一番嫌いなタイプの人間が木多


逆に言うとマシリト編集時長時代、木多、冨樫、萩原、木多は堀江の遺産らしいが、自分のポリシーと合わない人材でも重用している点では、マシリト自身の言葉に絶対的な
別の解釈をすると雑誌を作る基準はあくまで作品であって作家の人格は二の次と考えているともとれる。

マシリトは改革者だったのか?

 鳥嶋編集長時代、90年代後半、自分が当時のジャンプを読んでいた印象でも、マシリトの本人の発言通り週刊少年ジャンプがドラスティックに変化したという印象を自分も持っていた。

 前の編集長が立てた企画は全て潰した。宮部みゆきさんが原作の漫画とかもあったけど、それも含めて話をつけて回って全てナシ。同時にベテランの作家も全て切った。そして、編集部の連中の前で「新しい作品を作れない編集者には立ち去ってもらう」と言って、代わりに「作品を作った結果については、俺が全て責任を負う」と宣言した。

 実際に90年代後半に多くの黄金期の作家が少年ジャンプの誌面から消えているがいるが、マシリト就任前の時点でゆでたまごと車田正美は集英社を去っており、江川達也、宮下あきらも連載の場を青年誌に移している、堀江前編集長、子飼いの原と北条も前年、95年に猛き龍星、RUSH!!と打ち切りで、BAKUDANを打ち切られた、宮下あきらも同様に勤続疲労の限界に来ており、編集長がマシリトでなくとも少年誌の舞台を去っていた可能性は高い。
結果だけ見ればマシリトが80年代黄金期のベテラン作家を一掃したように見えるが、マシリトがリストラの鉈を振るったという印象と現実は異なっている。
 逆にベテラン作家の起用もそれなりにマシリトは行っている。連載末期には当時のジャンプのカラーとあわなくなっていたろくでなしブルースの森田まさのりは98年10号から新連載、ROOKIESでスマッシュヒット(教師物ということでマガジンの人気作GTOの対抗馬的側面もあったのかもしれないが)、いったん99年17号で第五部で連載を終了したJOJOの奇妙な冒険の荒木飛呂彦も半年を超える充電期間を経て00年1号からストーンオーシャンを連載。短期打ち切りになったとはいえ、徳弘正也(Wrestling with もも子)、高橋陽一(-蹴球伝-フィールドの狼)、にわのまこと(Base Boys)にも新連載のチャンスが与えられている。
印象や本人の発言とは異なり性急にベテランをきったわけでなく時間をかけて世代交代をおこなったとみたほうが正しい認識でないだろうか?


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