イグナシオ・ダ・シルバ

このキャラクターの本当の意味での魅力を語るには連載当時、90年代半ばの格闘技の時代背景を抜きには語れない。修羅の門第四部、俗にいうヴァーリ・トゥード編は1993年11月12日に開催された第一回アルティメット大会とグレイシー柔術をモデルに物語が描かれている。
VT編の連載開始は94年3月発売の4月号で、この直後の3月11日に第二回大開催された。作中の多くの描写が当時のアルティメット大会をベースに描かれていますが、当時には実現しなかった夢の対決も描かれています。
モデルとなったのは
フランシスコ・フィリョ

イグナシオが作中に登場したのは94年、モデルとなった極真空手ブラジル支部のフランシスコ・フィリョは格闘技ファンの間では91年の第五回世界大会において前大会準優勝のアンディ・フグを破った選手として有名でしたが、一般の知名度は低まだまだ低く、翌95年の第6回極真空手世界大会準優勝、97年のK-1参戦で地上波の露出も増えことでライト層まで広く名前を知れわたることになりました。
作中にでてくる移動式サンドバッグのシーンなど実際の練習風景がオマージュされています。
| 年齢 | 身長 | 体重 | 国籍 | 所属 | |
| イグナシオ・ダ・シルバ | 22歳 | 196㎝ | 110㎏ | ブラジル | 神武館空手 |
| フランシスコ・フィリョ | 23歳 (94年当時) | 186㎝ | 108㎏ | ブラジル | 極真空手 |
連載当時の時代背景

連載当時の90年代中盤はグレイシー柔術は多くの格闘技ファンの間でも最強の格闘技と考えられていました。多くの試合で打撃格闘家は簡単にテイクダウンを奪われ無抵抗のままグランドで仕留められる。
今では考えられないことですが、空手を含めた打撃系格闘技は何でもありのVTでは勝てないと考えられていました。この常識は徐々に覆されていくのですが、連載中はまだタックルをきるといった当たり前の概念すら殆ど浸透しておらず。テイクダウンを狙おうとする相手に何とかカウンターの打撃を合わせる。打撃を先に当てるか、倒されるかという考え方が一般的でテイクダウンをディフェンスするという考え方が欠けていました。
それだけにイグナシオ・ダ・シウバの絶対に倒されない空手家=テイクダウンされないストライカーは当時の常識よりの先を行く正しい考え方でした。
オレは空手家やから
「ええかイグナシオ・・・・空手は立ってやるもんや
寝技は他の奴らがやればええ・・・・倒れる前に相手を倒すんが空手や」
「ええかイグナシオ・・・・空手は立ってやるもんや
寝技は他の奴らがやればええ・・・・倒れる前に相手を倒すんが空手や」
当時の何でもありのVTの闘い方は一般的に次のように考えられていました。
「何でも有りで勝つためには、寝技をマスターしてないとダメだ」
「寝技に持ち込もうとする選手を打撃、あるいは投げで殺そうとするには限界があります。寝技の選手に勝つには寝技の力をつけるしかない」
もちろんこの考え方は間違いではなく、90年代半ばは打撃系の選手よりも寝技系の選手の勝率が高く。何でも有りの戦いで勝つにはまず寝技という考え方が支配的な時代であり、打撃は軽んじられていました。極端な意見ではスタンドのKOはラッキー(パンチ)とすら考えられていました。また寝技にいく際のタックル、テイクダウンを防ぐディフェンス、レスリングの重要性も理解が浅く、転がされたらまずガードポジションで簡単に相手に殴らせないようにするというのが当時の選手がグレイシー柔術を見様見真似で学んだ、なんでもありのセオリーでした。
このような時代に作中で「絶対に倒れない空手家」空手家の理想像として描かれたイグナシオ・ダ・シルバ
最後の龍造寺巌師範の言葉は作中の台詞以上の 、当時の何でも有り戦いで勝てなかった空手に対する思い 重みが込められています。
「イグナシ・ダ・シルバ
この男の見せたもの・・・・
それは空手をやる者にとっての光の道だ」